
本当に美味しいメロンを世に広めて、皆様に心の底から「感動」してほしい──
そんな志のもと、2010年5月、「感動メロンプロジェクト」はスタートしました。
当初は、各地の農家・生産者有志との「つながり作り」から始めました。
美味しいメロンを市場に広めるために、私たち「タネ屋」ができることは、まず生産者サイドへの働きかけだと考えたのです。
年々、プロジェクト活動への反響が増す中、予想しなかった、新たな動きが見えてきました。
それは、メロン栽培を「本業」としない方が、次々と、感動メロン栽培に取り組まれていること。
家庭菜園の愛好者様、食育関係者様、「第二の人生」に新たな趣味を求める方々...。
そして皆様は、一様におっしゃいます。"メロン作りは難しい。だから、面白い"と。
農家の間でも難しいとされるメロン栽培。
「高価だ」「味にクセがある」といったマイナスイメージ。
プロジェクトに賛同しつつも、参加をためらう農家様は少なくありませんでした。
ですが、純粋にメロン栽培を楽しむという視点において「難しさ」は、それを乗り越える「面白さ」となります。
また、本物のメロンは、誰がどこで作っても、他の果物にない、芳醇な味わいを生み出してくれます。
そうしたメロンの魅力に惹かれる人たちの出現は、メロンをこよなく愛する者として、この上ない喜びです。
これまで私は、「タネ屋である、自分が出来ること」に自ら壁を作っていたのかもしれません。
生産者・消費者といった枠にとらわれず、メロンを育てる感動・味わう感動を、すべての縁ある人たちに、ひたすら伝えてゆきたい。
今は、そう考えています。
そして私たちが目指しているのは、「メロンのコンシェルジュ」です。
栽培方法をはじめ、メロンに関するあらゆる情報を持ち、知られざるメロンの魅力や奥深さ、可能性がここに来れば、すべて分かる、そんな存在。
それこそが、感動メロンプロジェクトの、究極の目的と考えています。
ぜひ皆さんも、私たちを通して、メロンの素晴らしい魅力に触れてみてください。
きっと、かつてない「感動」との出会いがあります。

松井邦彦 プロフィール

975年4月28日、明治期の篤農家・松井家の9代目として生まれる。 幼少時代より、自然相手で休日もなく縛られる家業に反発心を抱き、大阪明星高校を経て中央大学商学部を卒業後は大和銀行(現りそな銀行)に入行。
銀行員時代の90年代後半は、バブル崩壊の後遺症から社会の閉塞感が強く、非建設的な日々に疑問を感じていた。 その頃、営業担当であった大阪市内の青果市場で、父が品種改良した「肥後グリーンメロン」がうず高く積まれているのを目にし、自分を表現することができる品種改良の仕事を、再び考え直す契機となる。
熟慮の末、家業を継ぐため銀行を退職。アメリカ・ワシントン州立大学農学部に留学し、植物育種学やバイオテクノロジーを専攻する。そこで得られた知見は、「科学的見地に基づく『勘』に頼らない栽培」という、自身の栽培哲学の礎となっている。
また、3年間のアメリカ生活を通じ、日本に根付く多様な地域文化と、それを支える地場産業=農業の重要性を強く認識させられ、帰国後は地域農業再興に貢献したいという考えに至る。
その後は家業に専念し、2012年11月、松井農園・代表取締役就任。メロン、スイカの育種・販売業の傍ら、オリジナルブランド「感動メロン」のプロジェクトリーダーとして、普及活動や全国各地での栽培指導を行っている。 メロンの生育を知り抜いた「タネ屋」ならではの豊富な知識・経験に基づく栽培アドバイスは、生産家からの信頼も厚い。
生年月日 | 1975年4月28日 |
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出身地 | 奈良県 |
趣味 | 旅行、ゴルフ |
特技 | 記憶すること(記憶力) |
好きな言葉 | 朝の来ない夜はない |
愛読書 | 時代小説 |
家族構成 | 妻と子供1人 |
栽培指導・コンサルティング実績
- 長野県松本市でのメロン栽培指導
2010年、長野県松本市在住の林正義氏に「感動メロン」のハウス栽培を指導し、成功に導く。その後も継続的にサポートを続ける。林氏は現在、長野県下でホテルやケーキ店などへ幅広く感動メロンを販売展開している。 - 岩手県・HG会へのメロン栽培指導
2010年11月に発足した、岩手県内の農家グループ「HG会」に感動メロンの栽培指導を行い、成功に導く。各地で直売され、「地場産メロン」として地元紙にも紹介された - 幼稚園での「食育」としてメロン栽培指導
2013年5~7月、学校法人常盤学園・常盤幼稚園(奈良県橿原市)において、「食育」の一環として、同園内での感動メロン栽培を指導。園児にも作業できる用具を自作するなど工夫を凝らし、好評を博した。 - その他、全国各地での栽培指導・コンサルティング実績多数